過日、大型連休を利用して実家に帰った。
震災以来初の帰省。
震災後1ヶ月間はまず、
携帯から実家方面に連絡がつながらないことに怒り、
訳のわかんない説明をする会社に怒り、
おさまらない余震に怒り、
怒り心頭に発するかいなかの瀬戸際だったけれど、
実害を受けている方々の身になれば、
怒ったところでなすべきこともなく、ただ静観を余儀なくされていた。
震災1ヶ月以降は、
実家に関して言えばひと段落着いたと報告を受け、
ちょっと安心していた。
して、今回の帰省。
2つ目の項目が全く見当違いだったことを思い知った。
まず、東京から実家に帰る沿線。
茨城から福島にかけて、
沿線の両側のほぼ全家屋の屋根が修理中である。
もちろん、線路自体も相当なダメージを受けており、
ところどころは徐行運転。
普段全く気にもしないけれど、
線路が何百kmも続いているのは、本当に凄いことだ。
平素気付かないそのありがたみを実感する。
そして、余震。
震源から遠いと、伝わる揺れに時差が生じる。
と高校の時、地学で習ったまさにそれである。
東京で感じる余震はまず、P波が到達して、
次にS波が到達するのでゆれ方が2パターンある。
ただ、実家方面は、それが直下型なものだから、
P波とS波が一気に来る。
となるとどうなるかというと、
凄いシェイキングな訳です。
そして、1番怖いものが音。
地中の奥底から「グ…ゴゴォーーーーーーーーーー…」
という音がする。
誇張はしていない。
実家に帰省して部屋で寛いでいたところ、
上記音がしたと思うと、
隣の部屋にいた親父がピョコッと顔出し、
「来るぞ。」と一言残して去っていったと思ったら、
その後感じる凄いシェイキング。
両親にいたっては、震度4以下の地震は地震ではない。
という訳のわかんない言葉を吐き出す始末で、
あぁ、この人たちは、
常人のレベルを遥かに超えたところで生活していたんだなと、
つくづく思って居た堪れなくなった。
通常と同じ生活ができるのが、
いかに幸せか気付かないものだ。
こういう未曾有の大惨事があって初めて気付くこともある。
僕は今回の地震で、実家のある福島を、
殊の外、愛していたことに気付かされた。
正直、中学・高校時代を過ごしたかの地に、
別段愛着もなくどちらかと言うと倦厭していた。
高校卒業後に東京に戻ることになって、
心から喜んだ。
言葉も訛っているし、
中高の6年間で自分にもその訛りがうつりつつあることに、
嫌悪感を抱いたこともある。
両親と親戚がいるから年に何回かは帰るけど、
本当にただ、それだけの土地だった。
歳をとるごとにそういうキシキシした感覚は薄れたけど、
特段福島県に対する愛着はなかった。
そこにこの大震災。
そして、1つの歌が決定的に何かを呼び覚ましてくれた。
今回のGWに少し早く帰省した親友から、
ある歌を聴いたら頭から離れられなくなるよ。
と言われていた。
結局実家にいる時には耳にしなかったのだけれど、
東京に戻ってから聴くことができた。
不思議なことに何回聴いても涙が出る。
もう、パブロフの犬状態。
こんなに自分の中の何かを抉り取られるような歌は、
そうそうないと思うけど、この曲がまさにそれだった。
それは、きっと僕の血の半分が福島県産のものだから。
それを誇りに思うときが来たのだと思う。
福島県は、浜通り・中通り・会津の3地域から成り立っています。
僕の実家は浜通りにあります。
原発も浜通りにあります。
実家と原発の距離は50kmくらいです。
両親は頑張って生きています。
津波は幸い届きませんでした。
ばぁちゃんは90歳過ぎて、それでも元気です。
会いに行くと「あんた誰だっけ?」とワンパンチ入れてきます。
同じ話を何度もします。
それでもまだ元気です。
野馬追いという伝統芸能があります。
赤べこという民芸細工があります。
白虎隊悲劇の鶴ヶ城があります。
みんな知らないでしょう。
それでもいいんです。
頑張れ福島。
俺の故郷です。
震災以来初の帰省。
震災後1ヶ月間はまず、
携帯から実家方面に連絡がつながらないことに怒り、
訳のわかんない説明をする会社に怒り、
おさまらない余震に怒り、
怒り心頭に発するかいなかの瀬戸際だったけれど、
実害を受けている方々の身になれば、
怒ったところでなすべきこともなく、ただ静観を余儀なくされていた。
震災1ヶ月以降は、
実家に関して言えばひと段落着いたと報告を受け、
ちょっと安心していた。
して、今回の帰省。
2つ目の項目が全く見当違いだったことを思い知った。
まず、東京から実家に帰る沿線。
茨城から福島にかけて、
沿線の両側のほぼ全家屋の屋根が修理中である。
もちろん、線路自体も相当なダメージを受けており、
ところどころは徐行運転。
普段全く気にもしないけれど、
線路が何百kmも続いているのは、本当に凄いことだ。
平素気付かないそのありがたみを実感する。
そして、余震。
震源から遠いと、伝わる揺れに時差が生じる。
と高校の時、地学で習ったまさにそれである。
東京で感じる余震はまず、P波が到達して、
次にS波が到達するのでゆれ方が2パターンある。
ただ、実家方面は、それが直下型なものだから、
P波とS波が一気に来る。
となるとどうなるかというと、
凄いシェイキングな訳です。
そして、1番怖いものが音。
地中の奥底から「グ…ゴゴォーーーーーーーーーー…」
という音がする。
誇張はしていない。
実家に帰省して部屋で寛いでいたところ、
上記音がしたと思うと、
隣の部屋にいた親父がピョコッと顔出し、
「来るぞ。」と一言残して去っていったと思ったら、
その後感じる凄いシェイキング。
両親にいたっては、震度4以下の地震は地震ではない。
という訳のわかんない言葉を吐き出す始末で、
あぁ、この人たちは、
常人のレベルを遥かに超えたところで生活していたんだなと、
つくづく思って居た堪れなくなった。
通常と同じ生活ができるのが、
いかに幸せか気付かないものだ。
こういう未曾有の大惨事があって初めて気付くこともある。
僕は今回の地震で、実家のある福島を、
殊の外、愛していたことに気付かされた。
正直、中学・高校時代を過ごしたかの地に、
別段愛着もなくどちらかと言うと倦厭していた。
高校卒業後に東京に戻ることになって、
心から喜んだ。
言葉も訛っているし、
中高の6年間で自分にもその訛りがうつりつつあることに、
嫌悪感を抱いたこともある。
両親と親戚がいるから年に何回かは帰るけど、
本当にただ、それだけの土地だった。
歳をとるごとにそういうキシキシした感覚は薄れたけど、
特段福島県に対する愛着はなかった。
そこにこの大震災。
そして、1つの歌が決定的に何かを呼び覚ましてくれた。
今回のGWに少し早く帰省した親友から、
ある歌を聴いたら頭から離れられなくなるよ。
と言われていた。
結局実家にいる時には耳にしなかったのだけれど、
東京に戻ってから聴くことができた。
不思議なことに何回聴いても涙が出る。
もう、パブロフの犬状態。
こんなに自分の中の何かを抉り取られるような歌は、
そうそうないと思うけど、この曲がまさにそれだった。
それは、きっと僕の血の半分が福島県産のものだから。
それを誇りに思うときが来たのだと思う。
福島県は、浜通り・中通り・会津の3地域から成り立っています。
僕の実家は浜通りにあります。
原発も浜通りにあります。
実家と原発の距離は50kmくらいです。
両親は頑張って生きています。
津波は幸い届きませんでした。
ばぁちゃんは90歳過ぎて、それでも元気です。
会いに行くと「あんた誰だっけ?」とワンパンチ入れてきます。
同じ話を何度もします。
それでもまだ元気です。
野馬追いという伝統芸能があります。
赤べこという民芸細工があります。
白虎隊悲劇の鶴ヶ城があります。
みんな知らないでしょう。
それでもいいんです。
頑張れ福島。
俺の故郷です。
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by ko-kojien
| 2011-05-11 23:03
| My Thought